先輩からのメッセージ
みなさんは将来の夢が決まっていますか。弁護士、会計士、コンサル、エンジニア、、、高校生の時の私は社会で働くということの解像度が低く、貧弱な知識の中から名前のついた職業を漠然と思い浮かべては、どの道を選ぶのかなあ、どれもピンとこないけどなあなどと考えていた。
東京大学を志望したのは、入学時に学部を選ばなくてもいいという進振りの制度を知ったからだ。前期課程は全員が教養学部に所属し、幅広い分野の学問に触れることができる。文科V類で入学した私は、この制度を最大限に利用したくさんの学部の授業を受けた。特に各分野の実地研修の授業は興味深く、人類学の先生についてアフリカに行ってみたり近くの小学校で都市計画のワークショップを開く研究に参加したりした。そんな中出会ったのが農学部だった。親戚に農家もおらず農の世界にまったく触れずに生きてきたが、農学部の授業を通して、初めて農業は人の暮らしに根差したもので農なくして人間社会は成り立たないことを実感した。自分でつくったものを自分で食べる喜び。地域の気候やコミュニティとともにつくりあげる産業。農学部の授業を通して、この分野に生涯をかけたいと思うようになっていた。
いま私は、東京で農園を経営し、日々旬の野菜を市民の方に届けている。高校生の自分には全く想像もできなかった仕事だ。農園を開くまでの道のりは長く、技術の習得や様々な法制度のハードル、偏見や先入観などをひとつひとつ乗り越え、ようやくひとつの誇れる仕事、都市農園経営者を名乗ることができている。日々地域の方に感謝をされ、感謝をし、さまざまに関わりながら事業を営む毎日は充実感に溢れている。大量生産大量消費社会を超えた先に、ローカルで資源や経済が循環する新しい社会をつくる一翼を担っているという自負がある。
世界は変化のスピードをますます上げ、人々の価値観もめまぐるしい速さで変化する。未来、何がいいとされるか、今から想像することは難しい。それでも、確かな自分の哲学と、それにもとづいた新たな生き方をつくりだす力、その源となる学びを得られるのが東京大学の醍醐味だと思う。高い目標を掲げ、実現に向けて一直線となる受験を終えたならば、ぜひ無限の可能性を大学生活で広げてほしい。
都市農園経営
東京大学を志望したのは、入学時に学部を選ばなくてもいいという進振りの制度を知ったからだ。前期課程は全員が教養学部に所属し、幅広い分野の学問に触れることができる。文科V類で入学した私は、この制度を最大限に利用したくさんの学部の授業を受けた。特に各分野の実地研修の授業は興味深く、人類学の先生についてアフリカに行ってみたり近くの小学校で都市計画のワークショップを開く研究に参加したりした。そんな中出会ったのが農学部だった。親戚に農家もおらず農の世界にまったく触れずに生きてきたが、農学部の授業を通して、初めて農業は人の暮らしに根差したもので農なくして人間社会は成り立たないことを実感した。自分でつくったものを自分で食べる喜び。地域の気候やコミュニティとともにつくりあげる産業。農学部の授業を通して、この分野に生涯をかけたいと思うようになっていた。
いま私は、東京で農園を経営し、日々旬の野菜を市民の方に届けている。高校生の自分には全く想像もできなかった仕事だ。農園を開くまでの道のりは長く、技術の習得や様々な法制度のハードル、偏見や先入観などをひとつひとつ乗り越え、ようやくひとつの誇れる仕事、都市農園経営者を名乗ることができている。日々地域の方に感謝をされ、感謝をし、さまざまに関わりながら事業を営む毎日は充実感に溢れている。大量生産大量消費社会を超えた先に、ローカルで資源や経済が循環する新しい社会をつくる一翼を担っているという自負がある。
世界は変化のスピードをますます上げ、人々の価値観もめまぐるしい速さで変化する。未来、何がいいとされるか、今から想像することは難しい。それでも、確かな自分の哲学と、それにもとづいた新たな生き方をつくりだす力、その源となる学びを得られるのが東京大学の醍醐味だと思う。高い目標を掲げ、実現に向けて一直線となる受験を終えたならば、ぜひ無限の可能性を大学生活で広げてほしい。
都市農園経営
ふと、ふりかえると東大を目指した理由は明確でなく、強いていえば負けず嫌いであることくらいでした。
私は汎用性と普通の興味で理系科目を選んでおり、実際には文系科目へ同じく興味があり、気を抜くとそれらに惹かれてしまうような人でした。そんな中、前期教養では専門関係なく学べることを遅くながら高校3年頃に知り、目指す気持ちも強くなり、なんとか入学した具合でした。
理系科目に加え、早速能楽やブランディング、天文学、全権委託法前後の政治のゼミなど自由に学びました。そのせいか、研究の専門として建築、哲学、薬学で悩み、底辺の成績でなんとか薬学部へ行き、その後研究へと進んでいきました。
今でもまた医学や文学、歴史、経済学から社会まで遍く知恵を必要とする希少疾患やゲノムという分野で、様々な分析や実践を行っています。
そんな中で、私は新型コロナウイルスの流行初期から約3年に渡り、ボランティアとして感染者の疫学情報のデータ構築等を行いました。全国の自治体でバラバラに公表されている感染者の数や年代、性別等のデータを収集するプログラムを作成し、休みなく稼働させ続けるました。 このデータは、国による情報把握システムの完成まで、全国の感染者数をリアルタイムに解析できる唯一でした。また、これを元に作成された流行曲線は内閣官房・厚生労働省・国立感染症研究所等へ共有され、日本の流行対策を策定する基礎資料として活用されました。
そもそも中高時代は全科目で1番生物学が嫌いでした。ですが、大学から大学院になっても毎学期授業カタログを見ては好き勝手選ぶ中で生物学や医学に導かれましたし、結果として今回の活動へと繋がったと思っています。あらゆる分野における最先端の知を享受できた東大の環境全てに感謝しかありません。
私はまだまだ人生初心者で、良い選択とは何かはわかりません。ただ、私は好奇心ひとつ手に握りしめ、今もなおさすらい続けています。
もし惹かれることがあれば、広い学問の世界、東京大学へ導かれてみてはいかがでしょうか?東京大学はきっとお待ちしています!ちなみに、高校の頃受けていた「高校生と大学生のための金曜特別講座」は、ぜひおすすめです。
東北大学大学院医学系研究科 助教
私は汎用性と普通の興味で理系科目を選んでおり、実際には文系科目へ同じく興味があり、気を抜くとそれらに惹かれてしまうような人でした。そんな中、前期教養では専門関係なく学べることを遅くながら高校3年頃に知り、目指す気持ちも強くなり、なんとか入学した具合でした。
理系科目に加え、早速能楽やブランディング、天文学、全権委託法前後の政治のゼミなど自由に学びました。そのせいか、研究の専門として建築、哲学、薬学で悩み、底辺の成績でなんとか薬学部へ行き、その後研究へと進んでいきました。
今でもまた医学や文学、歴史、経済学から社会まで遍く知恵を必要とする希少疾患やゲノムという分野で、様々な分析や実践を行っています。
そんな中で、私は新型コロナウイルスの流行初期から約3年に渡り、ボランティアとして感染者の疫学情報のデータ構築等を行いました。全国の自治体でバラバラに公表されている感染者の数や年代、性別等のデータを収集するプログラムを作成し、休みなく稼働させ続けるました。 このデータは、国による情報把握システムの完成まで、全国の感染者数をリアルタイムに解析できる唯一でした。また、これを元に作成された流行曲線は内閣官房・厚生労働省・国立感染症研究所等へ共有され、日本の流行対策を策定する基礎資料として活用されました。
そもそも中高時代は全科目で1番生物学が嫌いでした。ですが、大学から大学院になっても毎学期授業カタログを見ては好き勝手選ぶ中で生物学や医学に導かれましたし、結果として今回の活動へと繋がったと思っています。あらゆる分野における最先端の知を享受できた東大の環境全てに感謝しかありません。
私はまだまだ人生初心者で、良い選択とは何かはわかりません。ただ、私は好奇心ひとつ手に握りしめ、今もなおさすらい続けています。
もし惹かれることがあれば、広い学問の世界、東京大学へ導かれてみてはいかがでしょうか?東京大学はきっとお待ちしています!ちなみに、高校の頃受けていた「高校生と大学生のための金曜特別講座」は、ぜひおすすめです。
東北大学大学院医学系研究科 助教
私はいま「まちづくり」と呼ばれるような仕事や活動をしています。そのきっかけは大学4年生のときの授業に遡ります。
建築学科に在籍していた私は、フィールドワークでまちに出て、地域活動をしている方から話を聞きました。本郷キャンパスのすぐ近く、文京区根津のとあるまちでは、小さな通りを子供の遊び場とするために、「遊戯道路」と呼んで毎週日曜日に歩行者天国にしていました。東京のど真ん中で工夫を凝らして力強く暮らす人々に衝撃を受け、それから私はそのまちに通い、やがて住むことになりました。そして「公共空間を活用してよりよく暮らすこと」が私の研究のテーマになり、転じて本をつくったりテレビに出たりし、仕事にもなっていきました。
まちには本当に多様な人が住んでいます。人々と出会いながら、時には怒られたりもしながら、場当たり的かもしれないけど自分ができることを考え試してきたことが、間違いなく今の自分につながっています。授業での小さな出会いからおもしろさを見出し、自分のテーマとして深めることができたのは、間違いなく大学で過ごした時間があったからですが、「大学で学ぼう」と言う人はたくさんいるでしょうから、私はあえて「まちに出よう」「まちで暮らそう」と呼びかけたいと思います。
東大生がまちに出ると最初はだいたい「どうせ勉強ばっかりで他のことはできないんだろ」などと言われます。でも、一緒にイベントの準備をしたり、神輿を担いだり、子どもと遊んだりしていると、「東大生なのに変なヤツだな」に変わっていきます。これは私にとっては褒め言葉です。東大に入ったからといって、全員がいわゆるエリートコースを歩むべきなんて思っていません。むしろ、他の人がやらないようなことであっても、もし価値を見出し、事情が許して取り組めるのであれば、それこそやるべきことではないかと思います。
最近のまちの様子を見ていると、暮らしが豊かになる一方で、今までは当たり前だったことができなくなったり、どんどん息苦しくなったりしているなと感じます。お金は必要だけど、お金になることだけが大切なことではないし、学歴や肩書きに捉われず、それぞれの目線で大切だと信じることをする人が増えるといいなと思っています。みんなが同じことをやってもつまらないじゃないですか。
フリーランス/公共R不動産ほか
建築学科に在籍していた私は、フィールドワークでまちに出て、地域活動をしている方から話を聞きました。本郷キャンパスのすぐ近く、文京区根津のとあるまちでは、小さな通りを子供の遊び場とするために、「遊戯道路」と呼んで毎週日曜日に歩行者天国にしていました。東京のど真ん中で工夫を凝らして力強く暮らす人々に衝撃を受け、それから私はそのまちに通い、やがて住むことになりました。そして「公共空間を活用してよりよく暮らすこと」が私の研究のテーマになり、転じて本をつくったりテレビに出たりし、仕事にもなっていきました。
まちには本当に多様な人が住んでいます。人々と出会いながら、時には怒られたりもしながら、場当たり的かもしれないけど自分ができることを考え試してきたことが、間違いなく今の自分につながっています。授業での小さな出会いからおもしろさを見出し、自分のテーマとして深めることができたのは、間違いなく大学で過ごした時間があったからですが、「大学で学ぼう」と言う人はたくさんいるでしょうから、私はあえて「まちに出よう」「まちで暮らそう」と呼びかけたいと思います。
東大生がまちに出ると最初はだいたい「どうせ勉強ばっかりで他のことはできないんだろ」などと言われます。でも、一緒にイベントの準備をしたり、神輿を担いだり、子どもと遊んだりしていると、「東大生なのに変なヤツだな」に変わっていきます。これは私にとっては褒め言葉です。東大に入ったからといって、全員がいわゆるエリートコースを歩むべきなんて思っていません。むしろ、他の人がやらないようなことであっても、もし価値を見出し、事情が許して取り組めるのであれば、それこそやるべきことではないかと思います。
最近のまちの様子を見ていると、暮らしが豊かになる一方で、今までは当たり前だったことができなくなったり、どんどん息苦しくなったりしているなと感じます。お金は必要だけど、お金になることだけが大切なことではないし、学歴や肩書きに捉われず、それぞれの目線で大切だと信じることをする人が増えるといいなと思っています。みんなが同じことをやってもつまらないじゃないですか。
フリーランス/公共R不動産ほか
大学3年生の春、「歴史学を通して物事を捉えてみたいなあ」と文学部西洋史学専修課程に進学した2020年4月、最初の緊急事態宣言が発令されました。私は舞台鑑賞が趣味でしたから、舞台芸術が「不要不急」なる言葉を突きつけられて右往左往する姿を見て、劇場や舞台芸術の存在意義をぼんやりと考えていました。
では、劇場という存在を歴史学で考えてみようか。卒業論文に向けてテーマを考える中でふと思いつきましたが、ただの趣味の延長のようで不安ですし、自分の知的探求力に自信もありません。しかし東大はふとした関心を育ててくれる環境なのでしょう。教員との対話や先人の研究に導かれ、自分の問いが少しずつ展開していきました。歌舞伎研究や文化施設経営論、身体表現など、歴史学以外の授業も大事な刺激でした。
最終的に「劇場の社会的機能」が自分のテーマとしてあぶりだされ、18世紀イギリスを対象にした卒業論文をまとめました。起点は私的関心でしたが、学問という社会に蓄積された知的営みの力を借りたことで、自分なりの社会への問いが整理されたのだと思っています。卒業後に国立劇場で働くことを選んだのはこの延長でした。
さて大学生活でのもう1つ大きな経験として、駒場祭委員会、五月祭常任委員会で学園祭の運営をしました。委員会で出会った仲間は、自分には無い様々な視点とこだわりを持っていて、私は学業だけでなく彼らと学園祭を作りあげる経験から、物事を考え続けることを学んだように思います。また、自分一人では非力でも人の力を借りれば面白くて大きなことができると気づき、ここでも自分の社会への関わり方を知りました。
入学前は周りの言葉もあって「東大に行く必要があるのだろうか」と迷いを持っていましたが、社会に出た今になって思い返すと、東大で過ごした4年間は私にとって、自分と世界の接点を探り、社会へ歩き出すための土台を築く時間だったようです。
東大進学に迷いや戸惑いがある方は、その迷いを持ったまま進学してみてはどうでしょうう。東大はたくさんの選択肢と思わぬ出会いがある場所です。どこかであなたなりの道に繋がる、面白い環境かもしれません。
独立行政法人日本芸術文化振興会(国立劇場)
では、劇場という存在を歴史学で考えてみようか。卒業論文に向けてテーマを考える中でふと思いつきましたが、ただの趣味の延長のようで不安ですし、自分の知的探求力に自信もありません。しかし東大はふとした関心を育ててくれる環境なのでしょう。教員との対話や先人の研究に導かれ、自分の問いが少しずつ展開していきました。歌舞伎研究や文化施設経営論、身体表現など、歴史学以外の授業も大事な刺激でした。
最終的に「劇場の社会的機能」が自分のテーマとしてあぶりだされ、18世紀イギリスを対象にした卒業論文をまとめました。起点は私的関心でしたが、学問という社会に蓄積された知的営みの力を借りたことで、自分なりの社会への問いが整理されたのだと思っています。卒業後に国立劇場で働くことを選んだのはこの延長でした。
さて大学生活でのもう1つ大きな経験として、駒場祭委員会、五月祭常任委員会で学園祭の運営をしました。委員会で出会った仲間は、自分には無い様々な視点とこだわりを持っていて、私は学業だけでなく彼らと学園祭を作りあげる経験から、物事を考え続けることを学んだように思います。また、自分一人では非力でも人の力を借りれば面白くて大きなことができると気づき、ここでも自分の社会への関わり方を知りました。
入学前は周りの言葉もあって「東大に行く必要があるのだろうか」と迷いを持っていましたが、社会に出た今になって思い返すと、東大で過ごした4年間は私にとって、自分と世界の接点を探り、社会へ歩き出すための土台を築く時間だったようです。
東大進学に迷いや戸惑いがある方は、その迷いを持ったまま進学してみてはどうでしょうう。東大はたくさんの選択肢と思わぬ出会いがある場所です。どこかであなたなりの道に繋がる、面白い環境かもしれません。
独立行政法人日本芸術文化振興会(国立劇場)