先輩からのメッセージ
須山 穂嵩
力士
君は東大に入って何がしたいのか。「〇〇先生の研究室で学びたい」、「官僚になって日本を動かしたい」、「六大学野球でプレーしたい」など明確な答えがある人はこの駄文を読む必要はない。「受験勉強を頑張ろう。とりあえず東大に入れば未来は明るい」と思っている者に適当に読み流してもらいたい。
なぜかはよく分からないが、東京大学を卒業するとやれることの幅が広がるらしい。こういうふうに考えて東大を受験しようと思っている者も多いだろう。それは確かに一面の真実ではある。東大生の場合は、総合商社、外資系コンサル、国家総合職といった人気就職先にありつける確率は高い。君たちが心からそういった就職先に行きたいと思ったなら、東大に入って可能性を広げられてよかったねということになる。しかし、私はそういった広げた可能性に囚われてしまっている者を多く見てきた気がする。東大を卒業して相撲とりになってもいいし、ニートになってもいいし、バンドマンになってもいいし、農家になってもいいのにも拘らず、なぜか皆人気の就職先を目指す。そしてその多くは、特にその目指す会社でやりたいことなどないのに、「御社で〇〇がしたいです。」などと言って、自分も面接官も騙して内定を勝ち取る。そう、これは大学受験の時のノリと同じなのである。なんとなく「上」の会社を目指して頑張る。確かに給料は多い方が、使える金も多い。できることが多いのは確かだが、その金で一体何がしたいのか。そうやって、今ではなく未来のために生きることを続けていたら、金だけ持っている老人になってしまう。
尾崎豊は言った、「愛よりも、夢よりも、金で買える自由が欲しいのかい」
矛盾するようだけど、今特にやりたいことが見つからない高校生が東大を目指して受験勉強を頑張るのは素晴らしいことだと思う。どうせ家でぼーっとスマホを見ているくらいなら、勉強をしていた方がマシだ。(そうはいっても、スポーツ、ゲーム、友達づきあい、恋愛とかも立派なやりたいことであるから間違ってもそれら全てを犠牲にしてはいけない。)でも、そうやって可能性を広げるのは高校生までだ。そこから先は「これだ!」ということが見つかったら、たとえ東大生という身分が有利に働くことではなかったとしても、とりあえずやってみよう。それで君が失敗して、俺も相撲でダメだったら、一緒に山奥ニートになって歌でも歌いながら野菜を作ろう。
力士
君は東大に入って何がしたいのか。「〇〇先生の研究室で学びたい」、「官僚になって日本を動かしたい」、「六大学野球でプレーしたい」など明確な答えがある人はこの駄文を読む必要はない。「受験勉強を頑張ろう。とりあえず東大に入れば未来は明るい」と思っている者に適当に読み流してもらいたい。
なぜかはよく分からないが、東京大学を卒業するとやれることの幅が広がるらしい。こういうふうに考えて東大を受験しようと思っている者も多いだろう。それは確かに一面の真実ではある。東大生の場合は、総合商社、外資系コンサル、国家総合職といった人気就職先にありつける確率は高い。君たちが心からそういった就職先に行きたいと思ったなら、東大に入って可能性を広げられてよかったねということになる。しかし、私はそういった広げた可能性に囚われてしまっている者を多く見てきた気がする。東大を卒業して相撲とりになってもいいし、ニートになってもいいし、バンドマンになってもいいし、農家になってもいいのにも拘らず、なぜか皆人気の就職先を目指す。そしてその多くは、特にその目指す会社でやりたいことなどないのに、「御社で〇〇がしたいです。」などと言って、自分も面接官も騙して内定を勝ち取る。そう、これは大学受験の時のノリと同じなのである。なんとなく「上」の会社を目指して頑張る。確かに給料は多い方が、使える金も多い。できることが多いのは確かだが、その金で一体何がしたいのか。そうやって、今ではなく未来のために生きることを続けていたら、金だけ持っている老人になってしまう。
尾崎豊は言った、「愛よりも、夢よりも、金で買える自由が欲しいのかい」
矛盾するようだけど、今特にやりたいことが見つからない高校生が東大を目指して受験勉強を頑張るのは素晴らしいことだと思う。どうせ家でぼーっとスマホを見ているくらいなら、勉強をしていた方がマシだ。(そうはいっても、スポーツ、ゲーム、友達づきあい、恋愛とかも立派なやりたいことであるから間違ってもそれら全てを犠牲にしてはいけない。)でも、そうやって可能性を広げるのは高校生までだ。そこから先は「これだ!」ということが見つかったら、たとえ東大生という身分が有利に働くことではなかったとしても、とりあえずやってみよう。それで君が失敗して、俺も相撲でダメだったら、一緒に山奥ニートになって歌でも歌いながら野菜を作ろう。
淺野 良成
関西大学法学部 助教
民主主義の国では、政治家が国民の意見を代表することが期待されています。それでは、政治家や国民はそもそも、社会に対する意見をどのように形成しているのでしょうか?また、政治家と有権者はどのような行動を取ることで自分の立場を表明しているのでしょうか?こうした疑問に答えるべく、私は東京大学大学院法学政治学研究科に入学し、興味の赴くままに政治学の研究を続けてきました。
特に私が注目したのは、日本における安全保障問題をめぐる有権者と自由民主党(自民党)の意思疎通でした。2010年代以降の日本では、国の安全保障問題において、政権を担う自民党の立場と民意の隔たりが大きくなっています。私の研究は、そうした隔たりが10年以上も続いている要因に迫りました。まず、複数の世論調査のデータを統計学の手法で分析した結果、@安全保障政策への態度が中立的な人ほど選挙に行かなくなっていること、A東アジアの近隣諸国に対する不信感が強い人ほど自民党との隔たりは意識しつつも、日本の立場を国際社会により強く訴えて欲しいとの思いから自民党を許容していることが分かりました。また、自民党も民意との距離感の見せ方を工夫しており、私たちの目に留まりやすい政務三役(大臣・副大臣・大臣政務官)には急進的な議員を多く就けない傾向を確認しました。
一連の研究成果は、知的刺激に満ちた東京大学での生活があったからこそ生まれたものです。例えば、政治態度の中立性と政治参加の関係は、参加していたゼミの先生と議論を重ねる中で思いつきました。また、私は中学生の頃から新聞に掲載された閣僚名簿を眺めるのが好きでしたが、それを研究対象にまで昇華させたきっかけは、「政治家の人事を研究しても面白いのでは?」という指導教員の先生の一言でした。
東京大学には充実した研究環境と才能あふれる人々との出会いがありますが、その活かし方は皆さん次第です。社会現象でも自然現象でも構わないので、自分が興味のそそられることを見つけた上で、東京大学にぜひお越しください。皆さんが興味のあることを突き詰め、多彩な分野でご活躍される日を心待ちにしております。
関西大学法学部 助教
民主主義の国では、政治家が国民の意見を代表することが期待されています。それでは、政治家や国民はそもそも、社会に対する意見をどのように形成しているのでしょうか?また、政治家と有権者はどのような行動を取ることで自分の立場を表明しているのでしょうか?こうした疑問に答えるべく、私は東京大学大学院法学政治学研究科に入学し、興味の赴くままに政治学の研究を続けてきました。
特に私が注目したのは、日本における安全保障問題をめぐる有権者と自由民主党(自民党)の意思疎通でした。2010年代以降の日本では、国の安全保障問題において、政権を担う自民党の立場と民意の隔たりが大きくなっています。私の研究は、そうした隔たりが10年以上も続いている要因に迫りました。まず、複数の世論調査のデータを統計学の手法で分析した結果、@安全保障政策への態度が中立的な人ほど選挙に行かなくなっていること、A東アジアの近隣諸国に対する不信感が強い人ほど自民党との隔たりは意識しつつも、日本の立場を国際社会により強く訴えて欲しいとの思いから自民党を許容していることが分かりました。また、自民党も民意との距離感の見せ方を工夫しており、私たちの目に留まりやすい政務三役(大臣・副大臣・大臣政務官)には急進的な議員を多く就けない傾向を確認しました。
一連の研究成果は、知的刺激に満ちた東京大学での生活があったからこそ生まれたものです。例えば、政治態度の中立性と政治参加の関係は、参加していたゼミの先生と議論を重ねる中で思いつきました。また、私は中学生の頃から新聞に掲載された閣僚名簿を眺めるのが好きでしたが、それを研究対象にまで昇華させたきっかけは、「政治家の人事を研究しても面白いのでは?」という指導教員の先生の一言でした。
東京大学には充実した研究環境と才能あふれる人々との出会いがありますが、その活かし方は皆さん次第です。社会現象でも自然現象でも構わないので、自分が興味のそそられることを見つけた上で、東京大学にぜひお越しください。皆さんが興味のあることを突き詰め、多彩な分野でご活躍される日を心待ちにしております。
菅田 利佳
外資系金融機関勤務
私は、点字を使用して通常の高校へ進学した経験、ピアノ演奏を通じて、多くの人々と心を通わせた体験から、教育と音楽を軸に社会に貢献したいと願うようになりました。その志を形にする道を模索していた時、後の指導教員となる北村友人教授の講義動画に出会い、東大教育学部で学びたいという強い思いが芽生えたのです。
在学中は、日本型音楽教育の特徴、それらを新興国に伝える際の意義と課題を探求しました。国際教育協力と音楽を学術的に結びつけることは挑戦的でしたが、私の関心を尊重し、背中を押してくださった先生、サポートスタッフの方々のおかげで、充実した研究を積み重ねることができ、心から感謝しております。
学業の傍ら、研究成果や私の生い立ちを発信する活動にも、情熱を注ぎました。様々な場での講演・演奏の機会に恵まれ、教育と音楽の二つの軸があったからこそ、立場の違いを超えた共感と協力の輪を広げることができたと感じています。
また、文化・芸術の力を活かして若者と国連を結ぶ「東京大学UNiTe」で代表を務め、井筒節准教授の下、コロナ禍の中で苦しい立場にある若者や芸術界の人々の声を国連機関に届ける会議の企画などに取り組みました。その中で、聞こえにくい声に耳を傾けるという、他者をサポートする存在としての自分の新たな側面に気づくことができました。
「音楽と国際教育協力」、「国連と文化・芸術」など、一見異なるかのようなものも、どこかで繋がっている。全ての熱意を追い求め、大切に紡ぎ合わせた大学生活で見出した異分野の交差点は、私の人生の礎であり続けるでしょう。
東京大学であなたを待ち受けるのは、心惹かれるものを追及し、それをさらに発展させられる沢山のチャンスです。ぜひこの多様な教育環境を活かし、自らの手で、より彩り豊かな人生への切符をつかみ取ってください。
とはいえ私もまだ、恵まれた経験を社会に還元する旅の真っただ中。一人一人の専門性と個性が重なり、美しいハーモニーを奏でる未来に向かって、共に歩んでいきましょう。
外資系金融機関勤務
私は、点字を使用して通常の高校へ進学した経験、ピアノ演奏を通じて、多くの人々と心を通わせた体験から、教育と音楽を軸に社会に貢献したいと願うようになりました。その志を形にする道を模索していた時、後の指導教員となる北村友人教授の講義動画に出会い、東大教育学部で学びたいという強い思いが芽生えたのです。
在学中は、日本型音楽教育の特徴、それらを新興国に伝える際の意義と課題を探求しました。国際教育協力と音楽を学術的に結びつけることは挑戦的でしたが、私の関心を尊重し、背中を押してくださった先生、サポートスタッフの方々のおかげで、充実した研究を積み重ねることができ、心から感謝しております。
学業の傍ら、研究成果や私の生い立ちを発信する活動にも、情熱を注ぎました。様々な場での講演・演奏の機会に恵まれ、教育と音楽の二つの軸があったからこそ、立場の違いを超えた共感と協力の輪を広げることができたと感じています。
また、文化・芸術の力を活かして若者と国連を結ぶ「東京大学UNiTe」で代表を務め、井筒節准教授の下、コロナ禍の中で苦しい立場にある若者や芸術界の人々の声を国連機関に届ける会議の企画などに取り組みました。その中で、聞こえにくい声に耳を傾けるという、他者をサポートする存在としての自分の新たな側面に気づくことができました。
「音楽と国際教育協力」、「国連と文化・芸術」など、一見異なるかのようなものも、どこかで繋がっている。全ての熱意を追い求め、大切に紡ぎ合わせた大学生活で見出した異分野の交差点は、私の人生の礎であり続けるでしょう。
東京大学であなたを待ち受けるのは、心惹かれるものを追及し、それをさらに発展させられる沢山のチャンスです。ぜひこの多様な教育環境を活かし、自らの手で、より彩り豊かな人生への切符をつかみ取ってください。
とはいえ私もまだ、恵まれた経験を社会に還元する旅の真っただ中。一人一人の専門性と個性が重なり、美しいハーモニーを奏でる未来に向かって、共に歩んでいきましょう。
杉田 南実
IT系企業勤務
「東京大学では勉強しかできない」
高校生の頃の私は、東京大学に対してこの様な漠然としたイメージを持っていました。確かに勉強自体は好きでしたが、具体的に何を学びたいかは明確ではありませんでした。入学当初から学部で何を学ぶか確定している大学が多い中で、その学部選択を二年遅らせることができるというカリキュラムに惹かれ、進学を志しました。
入学してすぐ「応援部」という団体に出会いました。勉強しかできないと思っていた東京大学で、大声で歌い、踊り、楽器を鳴らし、学生を全力で応援する集団がいることは、まさにカルチャーショックでした。その不可解さに興味を持ち、気づけば応援部に足を踏み入れていました。これが私の大学生活を大きく方向付けました。
応援部とは、その文字通り「人を応援する」部活です。野球場では打球音に負けない声量で応援し、サッカー場ではコートを縦横無尽に行き交う選手一人一人にエールを送り、川辺では水の涼しさを掻き消すような熱量で漕艇部を応援します。活動の中で熱気に満ちた会場や試合から生まれる感動の素晴らしさを学びました。応援部の目標は東京大学の学生の活躍・勝利を後押しすることです。その手段として声、拍手、演奏、ダンスといったパフォーマンスを行います。私が教養学部で芸術表象を学ぶ道を選んだのも、応援部のパフォーマンス自体に興味を持ち、より深く学びたいと思ったからです。大学四年時には大好きな応援部で女性として初めて主将に就任し、その活躍が評価されて総長大賞をいただきました。
東京大学では勉強しかできないというのは間違いで、東京大学では「好きなことを勉強できる」、そんな環境が備わっていました。
私自身、入学したての頃は東京の都会の迫力に圧倒されていましたが、素晴らしい先生方や温かいクラスメイト、応援部・運動部・他大学応援団といった沢山の仲間に恵まれ、とても充実した四年間を過ごすことができました。当時の私と同じように、地方から東京大学に進学することに不安を抱えている方がいるとしたら、その不安は杞憂であること、今までに想像もつかなかったような鮮やかな経験ができることを伝え、エールを送りたいです。
IT系企業勤務
「東京大学では勉強しかできない」
高校生の頃の私は、東京大学に対してこの様な漠然としたイメージを持っていました。確かに勉強自体は好きでしたが、具体的に何を学びたいかは明確ではありませんでした。入学当初から学部で何を学ぶか確定している大学が多い中で、その学部選択を二年遅らせることができるというカリキュラムに惹かれ、進学を志しました。
入学してすぐ「応援部」という団体に出会いました。勉強しかできないと思っていた東京大学で、大声で歌い、踊り、楽器を鳴らし、学生を全力で応援する集団がいることは、まさにカルチャーショックでした。その不可解さに興味を持ち、気づけば応援部に足を踏み入れていました。これが私の大学生活を大きく方向付けました。
応援部とは、その文字通り「人を応援する」部活です。野球場では打球音に負けない声量で応援し、サッカー場ではコートを縦横無尽に行き交う選手一人一人にエールを送り、川辺では水の涼しさを掻き消すような熱量で漕艇部を応援します。活動の中で熱気に満ちた会場や試合から生まれる感動の素晴らしさを学びました。応援部の目標は東京大学の学生の活躍・勝利を後押しすることです。その手段として声、拍手、演奏、ダンスといったパフォーマンスを行います。私が教養学部で芸術表象を学ぶ道を選んだのも、応援部のパフォーマンス自体に興味を持ち、より深く学びたいと思ったからです。大学四年時には大好きな応援部で女性として初めて主将に就任し、その活躍が評価されて総長大賞をいただきました。
東京大学では勉強しかできないというのは間違いで、東京大学では「好きなことを勉強できる」、そんな環境が備わっていました。
私自身、入学したての頃は東京の都会の迫力に圧倒されていましたが、素晴らしい先生方や温かいクラスメイト、応援部・運動部・他大学応援団といった沢山の仲間に恵まれ、とても充実した四年間を過ごすことができました。当時の私と同じように、地方から東京大学に進学することに不安を抱えている方がいるとしたら、その不安は杞憂であること、今までに想像もつかなかったような鮮やかな経験ができることを伝え、エールを送りたいです。