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第195回『なぜ七県なのに九州?』
 夏ですね!家族で旅行をする人も多いのではないでしょうか?ところで、四国には香川、徳島、愛媛、高知の四県があるから四国と言いますよね。しかし、九州には福岡、佐賀、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島…。いくら数えても、七県しかありません。。。それなのにどうして七州ではなくて九州と言うのでしょう(A;´ 3`)

 九州が九州と呼ばれるようになったのはずっと昔のことで、その起源は八世紀にまで遡ります。もともとこの地方は、古くは筑紫国、豊国、肥国、日向国の四つに分かれていましたが、律令時代になって九つの国に細分されました。その九つとは筑前国、筑後国、豊前国、豊後国、肥前国、肥後国、日向国、薩摩国、大隅国。そして、筑前国にあった大宰府が、これらの国の管轄していました。太宰府ではなく大宰府ですよ!歴史の試験で漢字間違いをしないように注意です!☆

 これで九州と言われるに値する九つの国のことがわかりました。では、現在なぜ二国が減って七国なのでしょうか?これは、明治時代に行われた廃藩置県の影響です。廃藩置県とは、江戸時代までの藩制度を廃止して、その代わりに県を置くことで、政治の権限を藩(地方)ではなく、国に集中させるために行われた制度です。これによって、九国が廃止され、代わりに七県が設置されることになりました。
 九国から七県への移行は次の通りです。
筑前•筑後•豊前の一部が福岡県
豊前•豊後大分県
肥前の東部佐賀県
肥前の西部長崎県
肥後熊本県
日向宮崎県
薩摩•大隅鹿児島県

 こうして、現在では事実上「七州」なのですが、昔から呼び慣れている九州という呼称は、今も変わらず使われていると言うわけです。

 地理の歴史を少しでも知っておくと、旅行に行くのが楽しくなりますよね。旅行に行く際には、その土地の歴史を知って行くと勉強にもなりますし、一段と楽しい旅行になると思います(*゜▽゜)ノ

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