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第173回『江戸時代の数学、和算』
 現在、私たちが使用しているのは西洋数学と呼ばれるものです。西洋数学は、エジプトに端を発し、ギリシャを経て、何千年の歴史の中から成立してきたものです。では、日本には数学があったと思いますか?

 日本には、和算という数学がありました。これは、江戸時代の初期に始まったもので、幕末時代には、西洋数学のレベルに達していたというから驚きです。現在の日本は理数系において、世界トップクラスですが、江戸時代にはすでにその兆候があったのですね。西洋では何千年もかかって、大学者が研究してきた数学なのに、日本ではわずか300年足らずの期間に、それも町や村の庶民の間に根を下ろし、研究され高度に発達してきたわけです。

 この江戸時代の数学がいかに大衆化していたかが各地の神社、仏閣に掲げられた算額からみることができます。「算額」というのは、数学の問題が書かれた絵馬で、自分が解いた数学を額に書いて神仏に掲げるもので、はじめは「数学絵馬」といっていました。額には問題、答え、解き方、幾何学図形、そして、先生と自分の名前が書かれていました。
 どのような数学だったのでしょうか?

 京都の八坂神社にあるものは、当時の数学者が掲げたもので、現代数学でいえば、70次方程式でなければ解けない問題です。また、岩手県の竜泉寺に掲げられたものは、37桁という大きな数の26乗根を出せというもので、横2メートルもある額いっぱいに計算がしてあります。全く想像のつかない問題ですね。。

 日本には、このような算額が多く残っていますが、この算額の名前を見ると、鳥居の政松とか、樽尾の平吉とか、きこりの文蔵などという素朴な名前が多いのです。今は西洋数学におされて影の薄くなった和算ですが、江戸時代には実に多くの一般庶民が勉強し、しかもそれが高いレベルに達していた事がわかります。私たちも負けてられませんね!

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