モバっちょ


1949年(昭和24年)〜2006年(平成18年)
1949年(昭和24年)
・県下の高等教育機関7校を包括・併合して信州大学を設置。(松本医科大学、松本高等学校、長野師範学校、長野青年師範学校、長野工業専門学校、上田繊維専門学校、長野県立農林専門学校)
・教職員1,304名、学生総定員3,440名、規模において全国屈指の国立大学となる。

1951年(昭和26年)
・教育学部に附属長野小学校、附属松本小学校、附属長野中学校及び附属松本中学校が設置された。

1953年(昭和28年)
・一般教育部<教養部>が文理学部、教育学部、繊維学部に設置され、一般教育をそれぞれのキャンパスで個別に実施。
・各学部ごとに行われていた入学式が、文理学部講堂において初めて合同で挙行される。

1966年(昭和41年)
・文理学部を人文学部と理学部に改組。
・教養部が設置され、一般教育を松本で実施する体制となる。

1969年(昭和44年)
・一部の学生が人文学部講堂を封鎖。
・大学の運営に関する臨時措置法の国会での強行採決に評議会が抗議声明。
・一部の学生が信州大学本部事務局及び教養部を封鎖。教職員が封鎖を解除。

1971〜72年(昭和46〜47年)
・教養部で「授業料値上げ反対」のストライキ。

1974年(昭和49年)
・医療技術短期大学部を併設。

1978年(昭和53年)
・人文学部を人文学部と経済学部に改組。

1979年(昭和54年)
・「共通一次入試」制度を導入。

1983年(昭和58年)
・経済学部がユニークな入試改革を始め、話題を呼ぶ。

1985〜91年(昭和60〜平成3年)
・信州大学画像情報ネットワークシステム(SUNS)を設置。

1990年(平成2年)
・医学部附属病院で生体部分肝移植を行う。

1991年(平成3年)
・大学設置基準が大綱化され、一般教養科目、専門教育科目の科目区分を廃止し、4年または6年(医)の一貫教育へ。
・自己点検・評価が義務づけられる。

1992年(平成4年)
・総合情報処理センターを設置。

1993年(平成5年)
・地域共同研究センターを設置。

1995年(平成7年)
・教養部を廃止。共通教育センターを学内措置により設置。
・教育システム研究開発センターを設置。
1996年(平成8年)
・遺伝子実験施設を設置。
・広報誌「信大 NOW」を発刊。

1997年(平成9年)
・評議会が国立大学の独立行政法人化に反対の意志表明。

1998年(平成10年)
・冬季オリンピック、パラリンピック長野大会に本学の学生・教職員約1,600名が団体又は個人ボランティアとして活動。
・文部科学省大学審議会が「21世紀の大学像と今後の改革方策について」を答申。
・本格的な大学改革に着手。

1999年(平成11年)
・医学部附属病院で脳死からの肝臓移植を行う。
・留学生センターを設置。
・本学創立50周年記念事業実施。

2000年(平成12年)
・機器分析センターを設置。

2001年(平成13年)
・山地水環境教育研究センターを設置。
・国立大学の理工系学部としては初めて、工学部が、国際環境規格ISO14001の認証を取得。

2002年(平成14年)
・山岳科学総合研究所を設置。
・医療技術短期大学部を転換、医学部に保健学科を設置。
・アドミッションセンターを設置。
・21世紀COEプログラム先進ファイバー工学研究教育拠点が採択される。

2003年(平成15年)
・ヒト環境科学研究支援センターを設置。
・高等教育システムセンターを設置。

2004年(平成16年)
・国立大学法人化。信州大学は、国立大学法人信州大学が設置する国立大学となる。
・サテライト・ベンチャー・ビジネス・ラボラトリーを設置。
・産学官連携推進本部を設置。
・環境マインド及びe-learning教材開発の取り組みがGPとして採択される。
・中越地震被災地へ、医療チーム派遣、被災地の調査、学生ボランティア、募金活動で支援。
・2005年スペシャルオリンピックスをボランティア等で支援。
・地方自治体との連携協定締結が活発化。

2005年(平成17年)
・イノベーション研究・支援センターを設置。
・大学院総合工学系研究科(後期3年のみの博士課程)を設置。
・法科大学院(法曹法務研究科)を設置。
・カーボン科学研究所を設置。

2006年(平成18年)
・全学教育機構の設置。
・学生総合支援センター及びキャリア・サポートセンターの設置。
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