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第191回『トイレの考古学(1)』
 普段、何気なく使っていますが、トイレの存在って大きいと思いませんか?トイレがなければ、用を足すのが恥ずかしくなりますね。匂いや病気といった衛生面も大変なことになってしまいます。そんな私たちの生活に欠かせられないトイレについて、今回はお話をしたいと思います。

 古代日本のトイレは、川屋のように小屋が設けられており、その下を流れる川に流していたと考えられています。これが本当の意味での水洗トイレですね。川のない地域では、遺跡としてトイレ跡も見つかっています。トイレ跡と考えられる遺跡は4000〜6000年前の縄文時代のもの。そんな時代からトイレがあったなんて、興味深い話だとは思いませんか?Σd(゜∀゜d)

 さて、みなさんの家のトイレは洋式ですか?和式ですか?現在では、和式がすっかり減ってあまり見かけなくなりましたね。。。今でこそ洋式が一般的になっていますが、日本はもともと和式です。和式のトイレは、いつから存在していたのでしょうか?

 和式のトイレの原形は平安時代にまで遡ります。この頃のトイレは携帯型のトイレ(おまる)でした。そして、現在の様式とは前後を逆にして用を足していました。丸く上に出っ張っている部分を金隠しというのですが、その部分がお尻の後ろにくるのです。
 和式は、お隣の中国の影響です。中国も当時の日本も着物のような長衣を着ていました。着物で歩くのが大変ということで、携帯型のトイレになったのですが、金隠しが後ろなのも着物のためです。金隠しという名称の由来は、その名の通り、大事な性器を隠すという意味なのですが、本来、金隠しは高く伸びており、そこに着物をかけるために使われていた由来から「衣掛」と言われていました。この「衣掛」が「金隠し」になまったという説もあります。

 着物を着なくなった現代では様式だけが残り、性器を隠すために前後が逆になったのです。近現代まで長衣も着用していた中国では、改修の進んでいないトイレに入ると現在もなお金隠しが後ろにあるタイプとなっているので、中国に行く機会があれば、ご覧になってみてください。

 次回は洋式のトイレについて考えたいと思います(`・∀・´)☆

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